0264.
我々は通常無数の代理身体を自分の中に住まわせているが、それに於ける乖離を意識せざるを得ない状態が長く続くと(文化的所産の意味に於ける女性の場合はこの隠蔽が実に巧みである)、寧ろ我々自身の生身こそ代理に他ならないと云う自体を意識し続けなければならなくなる(どちらがどちらに委託するのかは比重の問題であって、根本に於てはどちらでもよい。少なくとも私は今そう云う気分だ)。その時点で、肉体は物質から事態への、状況への、設定への傾斜をどんどん強めてゆくことになる。可触知的なものとしての皮膚は、直接的なものではなく媒介的なもの、翻訳言語としての性格を強めてゆく。ポパーの言う世界3との接触を減らすことにより、この流れにブレーキをかけ、或いは押し戻すことは可能である。だがそれは殆どの場合単なる鈍磨でしかないのであり、感度の減退であると、私は敢えて言おう。


0265.
同じ川にさえ唯の一度も入れない悪夢的状況と云うものを考えてみる。その時、狂うか笑うかフテ寝する以外に、一体どんな選択肢が残されていると云うのだろうか?———仮令それが未熟者のワガママだとしても。


0266.
アメリカ富裕層は敵が必要な人種だ。大英帝国、「インディアン」、南部北部、黒人、少数移民、ドイツや日本、ソ連、ベトコン、中東、イラクや北朝鮮等の独裁国家、「国際的テロ組織」、 エイリアン、狂った隣人、etc,etc,etc………要は彼等の資本主義支配の及ばない、或いは受け付けようとしない、彼等の利潤に協力しようとしない者達、或いは、敵とすることによって彼等自身の勢力の拡大が期待出来るような者達だ。彼等は世界中に探し求め続けて来た。その結果はと云えば、彼等とその下っ端役人共は、今や残り全世界の敵となった。不安にカタチを与えること、「脅威」を提示して売り物とすること———それはとにかく、彼等にとってはカネになるのだ。


0267.
私だって正月に初詣に行くことはあるし、キリスト教なんぞ信じてはいないのにクリスマスにケーキを食べることもある。それはそれらが慣習であり、一般的な社会現象であり、季節に折り目を付ける為のイベントであるからだ。だがそれと靖国へ行くこととは全くの別物である。後者は明らかに国家神道の残骸であり、明確なイデオロギーを持っており、「自然宗教」*と云うよりは寧ろ最初から高度に制度化された創唱宗教(と云うのも何か変な言い方だが)に近い。一宗教法人としての靖国**は、とても「慣習」の範囲で片付けられるものではない。例えば、あの呆れるばかりの戦争賛美史観を現在の中高の授業で教えたとしたらどうなることか。他の国が未だに断罪されていないからと云って自分達も無罪潔白なのだと言い張る厚顔無恥について国際的な会合の場で堂々と言えるのか。そんな簡単な理屈を理解出来ない連中***が今現在この国を動かしていると云うこと自体、実に信じられない事態と言わざるを得ない。****

*古来からの「自然な」神社などと云う神話を支持する積もりはないのだが。

**こんな形ででさえも残っていること自体におかしなことだと私は思うのだが、明治以降どころか戦後の歴史の決算さえつけられぬ儘放っておいている国のことである、さもありなん。

***私としては票と資金集めの為のポーズなのだと思いたいのだが、どうやらそうでもないらしい。彼等はポーズの裏側に自分自身の考えを用意していない為、明白な事実を突き付けられると途端に不様な矛盾を露呈する羽目になる。

****自分がそんな連中を代表に選んでしまう様な国民が暮らしている国に住んでいるとは、正直信じたくない。無論、正論が通用しないのが政治の慣例であるが、そんなものの下で子供達に都合のいい様に解釈し直された正論を押し付けている我々国民とは何なのか。
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