0251.
メシアンはバッハと比べて沈黙(流れを中断するgeneral pauseの類いだ)を好むが、これはバッハに比べて上品なのやら下品なのやら。
 何れにせよ、人間、何かを言うべき時には慎みを以て当らなければならない。*

*大した慎みと言うべきである!———川流


0252.
確かに彼女はとてもいい聞き手だ。私がどんなに突飛な話を始めたとしても、彼女なら黙って辛抱強く理解しようとしてくれる。だが、彼女からは、あの強烈なる呼び掛けの感覚を感じる訳ではない。魂の襟元をぐいと掴まれて無理矢理引っ張られて行く様な、あの恐怖の肌触りが欠落しているのだ。彼女が遂に私の人格の中に統合されて来ようとしないのは、恐らくそうしたことが原因なのだろう。


0253.
彼女達の、或いは、彼等の、幾人かの目の下の脹らみには、何か知らguiltの感覚があった。自分は何か間違っているのではないか、他の人からは秘め隠された、否、自分自身にさえよく解らない、何か後ろ暗いところがあるのではないか、実は薄昏い闇に閉ざされた領域が、周囲や自分の視線からは遮られたところに広がっている———そんな感じが、堪らなく私を惹き付け、また無性に苦しい気持ちにさせた———恐らく彼女達、或いは彼等の方では、そんなこと夢にも思ってはいなかった、と言い切るのは簡単だ。だが激しい成長の過程で一体何が忘れられ、一体何が意識の手許に残されるのか、確信を持って断言出来る者がいるだろうか? そこには確かに、より暗澹とした深淵の、引き裂かれた法悦の萌芽があった。唯、それがどうやら私の様には育たなかったと云うだけの話だ。とにかく何れの場合に於ても、私は孤独と云う貴重な教訓を得られた訳だ。


0254.
一個の孤独な魂としては、私は他人の生活のことなんかどうだっていいのである。子供が虐待されようとも、女性が暴行されようとも、戦争の惨禍が悍ましい光景を作り出そうと、難病や疫病が貧しい人々を直撃しようと、彗星が地球に衝突しようと、氷河期が人類の文明の成果を全て呑み込もうと、私自身の死さえ、私は唯冷やかな眼差しを凝っと向けて静かに見詰めているだけだ。世界とはそう云うものなのだ。そのことに対して抱く何等かの感慨さえ、世界は直ぐに呑み尽くして何事もなかったかの様に静まり返るに決まっている。そんなことにいちいちかかずりあっていられる程、私はキャパシティのある人間ではない。
 だが、一個の肉体を持った一人の人間として、私は自分が人類の一員であることを忘れたことはない。人類にはもっと素晴らしい可能性が開かれるべきだ。まだ享受され探究され味わわれるべき諸世界が手を着けられない儘放っておかれていると云うのに、単に富める者が更にもっともっとカネを力を、と云う唯それだけの為に、信じられない程の不能率と目先のみしか考えれぬ大規模な近視が横行している。実に下らない! 私は愚劣をこの上なく嫌う。そんなバカげた事態の存続を一刻たりとも許すことは出来ない。
 何れにせよ、私が腹を立てねばならない理由はそれこそもう山の様に目の前に積まれてしまっているのだ。全くどうしようもない。
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