0235.
ヘラクレイトスは賢明だった。成る程確かに魂には底が無い。従ってその奥底の底についてそれ以上あれこれとくどくど述べてみても切りがないのは判り切っている。それに比べるとドイツ観念論の連中は如何にも不格好である。彼等は要するに、世界はすっかり己であるのか、或いは己の外に何か手の届かない世界があるのか、それとも両者を統合する道が何かあるのか、と云うことについてややこしい話をあれこれと何百頁にも亘って呆れる程饒舌に語っている。止せばいいのに切りのいいところで沈黙する術を知らずに馬脚を顕してしまっている彼等は、ヘラクレイトスに比べれば実に無遠慮で図々しく見える。


0236.
この宇宙を四次元的なものとして見ることと、永遠の層の下で見ることと、今、より必要とされているのはどちらなのだろう。或いは、両者はそれ程隔たったものなのだろうか。


0237.
目の前のあらゆる存在を事象として捉えること、事象を全て里程標の様なものと考えること。あらゆる瞬間は———仮令、我々が眠っている時でさえ———同定のレベルを開いてゆく為の絶好の機会 (チャンス )であると心得ること。一はあらゆる頽落の本源的な形式である。「一」と数えてしまった瞬間に、世界はその儘の世界であることを止めてしまう。プロティノスも偽ディオニシウスも不完全との印象を免れない。肯定を否定し、その否定をまた否定する………我々は、こうした馬鹿馬鹿しい手順を踏まねばならない———苟も、言葉と云うものに対して敬意を持っているのであれば———が、その手順そのものに囚われてしまっている儘では、世界は君に対して余所よそしいものであり続ける。全てがコンテクストの中に絡め取られていることを忘れずに、常に繰り返し繰り返し銘記せよ………。


0238.
私の「思想」と呼べる様な代物は独創性のあるものでは全くない。年を経る毎に、それは益々月並みで平々凡々なものになってゆく。———尤も、今の時代に真にオリジナルなものなどあり得るものかどうか、甚だ疑問に思うところではあるのだが。


0239.
曾てはあれ程私を責め苛んだ狂燥も、最近ではすっかり姿を現さなくなった。これは私が忍耐を学んだからと云うよりは、私の身体がこの次元に慣れてきた為ではなかろうか。
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