0231.
後悔と云うものは、現在と云うものが数直線上の一点の様なものではなく、或る程度の延べ広がりを持っていることから起こる。現在は、過去と未来とに常にほんの少しずつだけ、その朧な領域の触手をゆらゆらと蠢かせている。最もシンプルな後悔とは、まだ現在の範疇に収まっている過去について、その実現されることのなかった可能性、乃至潜在的可能性に苦しめられることである。それは今ある現在が少しずつ未来へ移動してゆき過去となることによって、次第に薄れてゆくのが普通である。「あってはいけなかったこと」は「どうしようもなかったこと」として、やがてその改変の可能性を仄めかすこと自体が、己自身の同一性に対する脅威となるものとして現れる様になる。一瞬で現在が過去に成る、或いは遠い過去が過去に成り切れない儘ずるずると引き摺ってしまう様になるには、それなりの強度と領土が必要となる(或いはその逆の場合もあり得る)。


0232.
生ませたら食わせ、健康で教育を受けられる生活を送らせるところまで考えなければいけない。持続可能性を視野に入れていない単発的な「人道支援」とやらは悲惨を倍加させるだけだ。厳しいことを言う様だが、貧乏人が幾ら増えたところで世界は豊かにはなれない。本気で手を差し伸べようとするなら、片手間にではなく、全てを投げ出す覚悟が必要だ。


0233.
大勢の訓練された猿共が、今日も、服さえ着れば何か一等ましな存在にでもなったかの様に思い込んで道を歩いて行く。あの子供を見ろ! 今にも駆け出して行って品性も何もなくキャアキャア叫び出しそうではないか? あの個体の強張った顔付きを見てみろ! 自分の縄張り争いにしか全く興味がなさそうじゃあないか? あの個体は食べて安穏とした生活が出来ればそれでもう沢山と云う感じだ。歯を剥き出してこそいないが、あの個体が行っている威嚇を見ろ! あの追従の笑顔! あの剥き出しのメイティングを! ここは猿の惑星だ!


0234.
この宇宙が連続的・実数的なものであるのか、それともその言葉の本来の意味に於けるa-tom(恐らくは「離散的」と形容しても差し支えないであろう分割不可能な最小単位)によって成り立っているものなのか、*この問いが解かれれば、ゼノンが単に仮構的な意義しか持たない乗り越えられるべき思考実験について述べていたのか、それとも現実の宇宙が抱える深刻なパラドックスを述べていたのか、区別が付くことだろう。が、ゼノンの難問が解かれたからと云って前者の問いが、と云う逆のパターンが可能であるとは限らないかも知れない。それは正に(具体的には)文字通りの意味で「想像が付かない」事態である。何と恐ろしい! 若しこの二千五百年に編み出された様々な宇宙論が全て嗤うべき全くの見当違いだとしたら!

*この問いに、「存在は他との関係性によってのみ成り立ち得るものなのか」と云う問いを重ねてみるがいい。どんなに鈍感な頭でも一晩はたっぷり眠れなくなること請け合いだ。
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