0202.
人類の現在と過去に満ち満ちている無知、無教養、非効率、不寛容、利己主義、自らの傲岸さに気付きさえしない傲岸な自己満足は、必然的に私を現実嫌悪へ、そして未来に対する必死の希望へと追い遣ってしまうのだが、私の想像する対応策は余りにもあらゆる面に深く滲み渡ってしまっているので、幾許かの(或いは、かなりの)窒息感を免れることが出来ない。そこで現在と過去の不完全さはひょっとしたら私が息を吐ける恵みの余地を与えてくれているのではないだろうかと、ふと考えてみる時もたまにはある。だがしかし、不幸にもこうしたジレンマに悩む瞬間があったとしても、一歩家の扉の外に出てみると、目の前の人々が見せる余りの物分かりの悪さ(今日の次には今日や昨日ではなく、明日が来るのだと云うことを相手に説得 (、、 )しなければならなくなった時の途方もなく馬鹿馬鹿しい徒労について考えてみるがいい!)に途端にもう何だかどうでもよくなり、ベッドに戻って頭から布団を引っ被って、一切合切何もかも投げ出して己が独りだけの微睡みに戻りたくなる。実際、何でこんな阿呆らしいことに私が何時までも付き合わにゃあならんのだ。


0203.
現代の人間が19世紀のロンドンかパリの街中に行ったならば当然感じるであろう胸のむかつきと似た様なものを、私は現代の鋪道に対して感じる。一体どれだけ無神経になれば、この消費排泄物で溢れ返った道の上を平気でてくてく歩ける様になると云うのだろう? 毎日大量の清掃員達がその全く不必要なエネルギーを費やして新しいゴミが出せる様にしているが、それさえ間に合わずに腐臭は至る所から臭って来るではないか?


0204.
街角に貼られた汚い字の手書きの貼紙を見掛けた。それは雑種の神道と仏教とキリスト教と酷く間違った神話学と、史的事実を無視したありがちな隣国蔑視と自国賛美のごった煮で出来ていた。私の書いているものはこれに比べれば明らかにマシである。が、かなりマシである、と言い切れる訳でもない。実際私は、「白痴の語る物語」に於て、屋上屋を架す様な真似をしているだけなのかも知れない。


0205.
長期に亘って喜劇の質を保証するのは笑いに含まれる毒だが、その時には既に笑いの方は名刺の様な言い訳へと転落している。


0206.
私は詩を憎む。真剣な思考も厳格な論理も、全て詩情 (ポエジー )と云う名の情緒に還元してしまうあの太平さが、私は許せない。だが私だって詩を書いているって? 出来てしまうものは仕方がないではないか。トイレにだって行きたくて行っている訳ではないが、行って出すものを出してしまわないと生きてゆけないではないか。
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