0187.
人々が見たいと希んでいるものを、最早生身の人間が背負えないと云う事態は加速度を増して普遍化しつつある。ホームビデオやデジタルカメラのフレーム、或いはテレビやパソコンのモニター越しの映像や文章等による、回想や追憶、或いは話題に値するものとして相手を見ることの乗っ取りは進行する一方である。別にそのこと自体がいけないとか、人間はもっと「自然な」状態に回帰すべきだとか、そんなことを言いたい訳ではない。眼差しの成立と云う事態そのものがそもそも安呑と対象と一体化した原初からの離反を、それ故何か知ら淫猥でいびつなものを含んでいるものであって、その内の或る特定の性質のみを以てこれを特権的に優先させて扱ったり或いは見下して非難すべき何か先験的な理由が存在する訳ではないのである。今更性交の現場でも押さえられたかの様に恥ずかしがって気まずい思いをする必要はない。
 要はその眼差しがそれによって支えられているところの(この言い方は外部から見た場合の順番になるが)総合的な生活のヴィジョンが、潜在的可能性をも含めてそれらを許容する度量を持っているかどうかである。身体的に触知可能な現実からの抽象(殊により具象的なものが喫緊の問題であるが)は、人々に現実を多様化、乃至多層化することを可能にし、*人々はそれに嬉々として順応している様に見える。一旦手に入れた別の可能性を、人々が故意に手放したり忘れたりすることなぞ出来ない以上、後戻りは絶対に出来ない相談だ。だがそれを維持し続けてゆけるだけの生活様式が果してこの儘続くものだろうか。世界のこの新たな諸層による浸蝕作用は既にどっぷりと新たな世代の個体性・社会性を形成してしまっているが、それがこの先も同様の拡大消費を続けて行けると断言出来るだけの保障は何処にもない。
 私はこのことについて特に断裁はしないが、個々の行動に当って常に総体的な未来を念頭に置いておくべきであると云うことは、強調しても強調し過ぎることはない。ひとつの行動に託されたその背後の意味、そのことを考える為に立ち止まることを忘れてしまったら我々は最早精神を持った存在とは呼べなくなる。

*このことには無論非常な格差が生じている。自由に出来るだけの金と時間とを持っていない者にとって、現実とは依然皮膚に密着した手探り出来る至近距離に限定されたものでしかない。


0188.
国家は何か窺い知れぬ深遠で崇高な慈善的目的によって人類の福祉に貢献しようとしている訳ではない。従って公的な教育制度が良き人間をではなく良き国民を形成するのを主眼としているのは全く驚くには当らない。しかし、例えば良きビジネスマン(特に、とりわけ優秀なビジネスマン)であることや、良きビジネスマンになろうとすることが、必ずしも良き国民であることを意味しない時代にあっては、他に対策の取り様の無い政府が目の前の現実を無視した異様な精神論を唱え始めるのは実に困ったことと言わねばならない。


0189.
帽子の鍔:人間から気高い天空を隠す為の視野狭窄具の一種。主にそれに分相応な職業や精神年齢の持ち主が用いる為、特に問題はない。
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