0176.
「国家の権利」とやらを擁護すれば、その国民の権利———即ち、あらゆる法体系の根幹にあるべき諸個人の諸権利———も守れるのだと云う論拠は限られた場でしか有効なものではない。いい例が現在の経済状況だ。確かに一部の大企業は成長率の回復に成功してはいるだろうが、国民の大多数は低所得・低貯蓄・高税率等に喘ぎ苦しんでいる。国が富んでも民が富むとは限らない———「貧しい」ことの意味が相対的なものであって比較対象によってどうとでも変化するにせよ———ことは明白である。更に例えば戦争になった時のことを考えてみよう。一旦戦闘が始まったとして、非戦闘員の国民———戦闘員も国民であることには変わりないと云う事実を無視したとして———に一人も犠牲者を出さずに国を「防衛」することは、今日では果して可能だろうか? これは実際問題として非現実的な予測であることは今更言を俟たない。国家*は守るべき最後のものではない。また守るにしてもその方法如何によっては遵守すべき優先順位が容易に逆転してしまうことは肝に命じておくべきである。

*尤も、この「国家」と云う概念の自律性は今や日に日に崩れていっているので、こうした表現が何処まで妥当かどうかには議論の余地があるだろう。


0177.
政治家やジャーナリストの中に、時として日本の政治的・経済的な現状、乃至過去の状態を称して「日本は社会主義国家だ」と非難する者が居るが、ブザマな現実ではなく理論の方から社会主義と云うものを学んだ私から見れば、これは全く理解に苦しむ発言である。生産手段の民衆の手への譲渡(多少誤解を招くかも知れない表現を使えば、社会へであって、国家へではない)、完全雇用の確保、必要に応じた分配、*等々と云う点が、一体如何なる意味で日本に於て実現されている、或いはされたことがあると云うのか。こうした形容をする人間は、「社会主義」と云う語について、曾てのスターリンのプロパガンダに沿った発言をすることで、社会主義と云う思想が現在に於て持ち得る可能性を予め潰してしまっているのだ。ソ連や中国が「社会主義」だと評することは(「既に社会主義を実現している国家だ」と評することは)、「民主主義」と云う語が国名(?)に記載されているからと云って、北朝鮮を民主主義の国だと考える位馬鹿らしいことである。

*今日では、これらに更に効率持続可能性と云った点も付け加えるべきかも知れない。


0178.
世界にはまだ核兵器を所有している国家が存在している。よってそれらの脅威に備える為に、これまでに締結された核軍縮条約の一切はこれを破棄すべきである。またその後の世界情勢に鑑み、日本の非核三原則もまたこれを白紙撤回すべきである

———自衛隊を憲法の成文によって正当化しようとがなり立てている無能共の言っていることは、今述べたことと変わりがない。
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