0116.
「客観性」の保持を個々の具体的行動を導く為の倫理基準とすることは一体何の顕れか。とんでもない傲慢か卑俗さへの嫌悪か、或いは低姿勢の気取りか憶病者の言い訳か。いずれにせよ、我々はそれを恥じらいと躊躇いなしに口にすることは出来ない。


0117.
例えば所謂「クラシック」に分類される音楽を聴けば、種々の感情と云うカテゴリーによって表現されるものが人間に本来備わった万人普遍の原理などではなく、教育と導き(ディレクション )の成果に他ならないと云うことがよく判る。
 それらを無視した単なる一意的な潜在性として語られようとする時、人類普遍の感情などと云うものはないと声を大にして言わねばならない。少なくとも、我々はそれで片付く様な世界に住むべきではない。


0118.
過去に自分が書いたものを読み返して呆れ返るのはよくあることだが、仕方のないことだ。仮令そこに書かれていることについての基本的な考えが大して変化していなかったとしても、文章の不味さは隠し様がないし、また私が自分の思考に課している様々な条件をいちいち脚注として書いていたら、今の何倍何十倍もの量を書いていなければならなくなる。生来無精者の私としては、何処かで妥協せざるを得ないのだ。だがそれ抜きで読んでみると、自分の思考の余りの短絡さに、自分は白痴ではないかと屡々思いたくなってしまうのもまた事実だ。


0119.
「言わない」ことと「言えない」ことを区別出来ない状況には腹が立つ。


0120.
私の様な危機対応能力が著しく欠如した人間にとって、秩序と安定を求めると云うことは自然な傾向だと思わないかね? 目の前の具体的な出来事に対していちいちじっくり向き合うなんてことをしていたら、何でも抽象的に考えると云う私の特性は著しく減退していただろうし、只でさえ元々この世界は不愉快な不可解で満ち溢れているのだから、人間が事象レベルでわざわざ腹立たしい不条理を助長してやる必要はないのだ。


0121.
世のスターゲイザー達にとって、例えば恋愛感情等と云う強い感動を惹き起こす事象は、真に問題なのはその経験の強度なのだと自覚して初めて、有意義なものとなり得る。自分の瞳が目の前の事象に焦点を合わせているのか、それともその先の遙か向こうを見透かしているのか、これをはっきり認識することは、精神-存在として自らを成長させる為に踏まずにはおかれない段階である。仮令それが大きな挫折、世界からの疎外として体験されようとも、それを避けることは出来ない。
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