0080.
皇室報道の伝える無力と抱合せになった無責任の痴呆的な平穏さは、確かにこの国民には必要なものなのかも知れない。誰かが一貫して嘘を吐いていてくれなければ、大衆は鬼に忘れられてしまったかくれんぼの参加者の様に落ち着かない気分になることだろう。


0081.
半世紀前ならアメリカの繁栄は憧れの的たり得たかも知れないが、彼等の厚顔、無神経、傲慢を隠し立てすることが以前より容易ではなくなって来ているのは衆知の事実である。それは諸外国人の憎しみを軽蔑を誘発するが、それは彼等持てる者の力への嫉妬と、その力への痴呆的な妄信を装い続けることが出来ることへのシニカルな羨望に源を発している。


0082.
タチの悪い英国人の様に自分の皮肉に疲れたくなければ、笑うだけではなくて微笑むことを覚えることだ。


0083.
この得体の知れぬ乾き(比喩ではなく文字通りの意味だが)を覚える度に、自分がまだスパンの大きな進化の道程の直中に居るのだと思い知らされる。結局のところ、我等の肉体は頭脳の為に存在している訳ではないのだ。恐らくはこれから先、そうした機会は減るどころか増す一方なのだろう。如何にして諦めるか、人それを知恵と呼ぶ。この下らない文章の全体がそれを表している。


0084.
今日は恐怖の荘厳な美しさを新ためて知る機会を得た。再び人間になった気分だ。


0085.
律動 (リズム )旋律 (メロディー )和音 (ハーモニー )と云う音楽を構成する3つの基本要素の裡、生命にとって最も重要なものは律動であるが、精神にとって最も重要なのは和音*である。断っておかねばならないが、この場合、単に耳で聴くと云うことだけでは充分ではない。全身で、咽喉で、横隔膜で、皮膚で、蹠で聴き、感じ、震え、和音の一部となり、和音と一体となること、自らの肉体を以てそこに参加することが、ここで扱うべき和音の必須基本要件である。和音は精神の重層性を抽き出すが、和音は単にその為の一手段に留まるものではない、それはその本質からして分裂せる主体の焦点を発生せる「この」音の彼方に措くこと、即ち他性からの呼びかけであって、世界に調和が確かに存在し得ると云うことの証左である。
 和声 (コード )は恐らく、単純な和音の純粋さに耐えられぬ人間が、時間化することによってその深過ぎる深遠から自らの身を守る為に生み出した智恵のひとつである。秩序が時間化されるとは即ち和音が認受可能な(と思える)程に受肉することである。和声が屡々言葉を伴うのも同じ理由による。我々は単純さに憧れ乍ら、同時にそこから逃れようとする努力を決して怠ることがないからである。

*ここでは不協和音のことは触れないでおこう。この段階では話が錯綜し過ぎるからだ。
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