0073.
宗教と法の関係についての問題はここ百数十年間、またここ数十年間、放置されてきた。その力が世界勢力地図の中で無視し得ない程の文明国として殆ど唯一教義宗教を持たない国とされている日本に於て、この問題に関する根本的で建設的な提言が目の前の現実と云う言い訳を前に一顧だにされないと云う事態は今だに変わっていないが、人間の文明の在り方について積極的な発言のチャンスを持っているにも関わらず、我々が日々それを逃しつつ暮らしていると云う事実は、もっと広く理解されて然るべきである。私とてそれについての一義的な解を持ち合わせていると云う訳ではないが、怪しからんのは、その問題が初めから存在せず、或いは疾うに解決済みであると云う態度を取ることである。先ず疑義を持たなければ、如何にしてその後の吟味を理解し得よう?


0074.
舞台演劇は、「時間を超越する」と云う現代の欲求に沿うには余りに現在に密着し過ぎている。だがその分、後から幻滅を齎すことが少ないのもまた事実である。


0075.
コカ・コーラの宣伝文句"No Reason"を「理由はいらない」と訳すのは間違いである。「理性なし」が正しい。商品名に麻薬の名前を冠した会社に一体何かまともなものが期待出来ようか?


0076.
独りの時には何とか形を保っていられる理性は、二人の時になると途端に怪しくなる。


0077.
理性の形態や程度や規模には色々あって然るべきで、背後にある現実を忘れたりさえしなければ、「アメリカの増長慢」や「エルサレムを巡る狂気」と云う言い方には十分効用がある。だが、その「背後にある現実」が決して一義的な名称によって汲み尽くされてしまうものでないと云う戒めを常に心掛けていられる者は残念乍ら少ない。素早い対応が求められている(と信じられている)場面ではそうでないことが当たり前と考えられているどころか、そうした潜在的選択肢の存在そのものが当事者の頭から抜け落ちてしまうか、或いは却って好ましからざるものと見做されてしまうのである。


0078.
私は自分が希釈された感情を否定してしまうだけの過剰な倫理性を備えているとは思っていない。私がまだ精神病院へ行かずに済んでいる理由の一端は恐らくその辺にあるのだろう。


0079.
男性性からの逃避としての女性、若しくはその逆。これは性差が肉体的に(またそれに伴って内面的に)なるに従って不可避の過程となる。男/女性性の無視、或いは「気にしない」と云う態度を採ることは、性的に規定された存在としての自らと上手く折り合いを付け、妥協点を見出す為には、何処かで必ず必要になる。
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