0066.
人類の一員としては、私は自分がまだ死ぬ訳にはいかないことを知っている。一個の被呑者としては、私は自分がまだ死なないことを知っている。死ぬ筈のないことを知っている。


0067.
生身の人間には我慢ならん!


0068.
また新しい朝が来る。よく飽きないもんだ。


0069.
あったらいい本。
『死を生の途絶ではなくその完成とする為の10の方法』


0070.
私が酷い女「性」差別主義者であることと、私に性が偶々女である友人がいることとの間に矛盾は存在しない。このことが理解出来なければ、我々が常に有限的な存在であることを思い起こしてみればよい。我々は常に選択しなければならないが、それは人間性を尊重したものでなくてはならない。人格に於ける性的性格、若しくは性器的性格の混入は、差異の弁証法に於てもう片方の性を必要とする限りに於て、本質的に不完全さを要求するものなものなのであり、それは正気であろうとする人間が嫌悪すべきことなのだ。


0071.
或る日、ひとりの子供のところに、実弾を装填した粗悪な手製の拳銃が送り付けられて来た。事態は現在、子供が分別を身に付けるのが先か、拳銃が暴発するのが先か、展開の読めない競争が続いている。


0072.
私の様な本読みの人生は常に読まれるものとして………いや、この言い方は正確ではない、言い直そう、*「読まれた」ものとして存在する。だが幸いなる哉! 書かれなくてもいいことは、初めから存在していなかったも同じことなのだ。我々の多くが発狂せずにいられるのはこの為である。

*この言い方の不適切さは、時間があちらからこちらへと一方的に流れるものだとする今日の時間概念に根差した語法に基づいている。心的な時間の総体は決してその様なものである筈がないのだが、残念乍ら、我々はまだそれに対応し切れる文法を発明してはいない。もしそれが実現されたならば、我々がその成員を成すところの社会はもっと正気でいられることだろう。
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