0042.
人は加齢と共に固定した世界の中に安住する様になるが、それは単なる刺激を意味のある情報として精製させる過程が、如何にして切り詰め、無意味なものを捨てるかにかかっているからである。我々は選んで取り上げるのではなく、既にあるものを削ってゆくのである。


0043.
愚行を自ら選択しそれを繰り返す図々しさを身に付けること、それが成長の基本である。問題とすべきは、その際の焦点を何処に定むるべきかなのだ。


0044.
他の生物を摂取したり、俗世界の様々な瑣事についてお喋りをしたり、端的に性に帰着させることが可能な心理的闇試合を飽きもせず繰り返したりと云った平々凡々たる、またそれ故に普遍的でもある他の数多ある快楽 は、知的な快楽———何ならこれを、人為的な心理操作と言い換えてもよい。真理を考察しつつそれを生きる者にとっては、両者を区別することに公の意思疎通の為の便宜以上の意味はないからである———に比べれば、実に味も素っ気もない、薄っぺらな快楽しか齎してはくれない。それ故快楽主義の形式を問う場合には、それを論じる者の焦点が奈辺に置かれているかを確認しておく必要がある。
 これが古代的な禁欲主義とは若干異なっていることをここで確認しておこう。我々は、我々自身の心の有り様を考察の対象とする世代である。従って、それを扱うこともまた、「知る」行為の裡に含まれる。従って、抑圧するのではなく軽んじる若しくは無視すると云う形式が、今日に於ては認められなければならない。*

*私がここで言っているのは、無論自覚的に行われたそれを指す。


0045.
一体私には昔から不思議でならないのだが、人間は何故斯くも騒々しいシッチャカメッチャカのドタバタ騒ぎを何時迄も続ける気でいるのだろう。いい加減誰かが「おい、もう沢山だ、ウンザリだ、そろそろこんな茶番は終わりにしよう!」と叫んだら、真剣に賛同する誰かがいてもいい筈だ。とにかく、物心ついてからと云うもの、こんなことは自分の代で終わらせてしまおうと云う聡明な人種が余りにも少ないことに、私は何時も首を傾げてきた。誰か学習する者がいてもいい筈なのだ。*

*最も安直な答えのひとつが進化論に訴えることだが、私は人間の話をしている。


0046.
何事かを成し遂げたと思う度に、我々はこうも思わねばならない。"O Freunde, nicht diese Toene………." だがこれ自体ひとつの調べでしかないことを忘れてしまった時に頽落が始まる。
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