0026.
喪失することの快楽を背骨で覚えてしまった人間———さてこの様な人間に、一体何が残されていることだろう。我々は彼を非難すべきなのだろうか? 公民としては無論、然りである。しかし………。


0027.
同定可能だろうか? この絶えず蠢くもの、常に新たに息吹きを取り込み続け、自らを崩壊させつつ生まれゆくもの、外延を拡散させるもの、成長するもの、拡大するもの、変化するもの、その本質に運動を他の何よりも抱えているもの、時間的なるもの、とりとめのないもの、生命にとってはこの上なくはっきりしたもの、を擦り抜けるもの、晦くて明るいもの、理性に狂気を強いるもの、魅せるもの、この浄めるもの………。


0028.
沈黙雑音で埋め立てる技を覚えている者は多いが、沈黙沈黙によって満たす道があることを知っている者は極く少数である。このことは余りにも明白な事実なので、議論する余地はない。
 連中は自分が目を覚ましていると思い込んでいるが、そうした連中に言葉をかけてやる必要はない。何故なら、今日ある大浪費資本主義の世界を支えているのは正にこうした連中であって、沈黙を楽しむ様な人種は、そうした果てしない無駄が埋め尽くす息苦しい状況の狭間で何とかひっそりと居場所を見付けて生き延びているからである。代替物の到来が確実なものと判明していない時には、それまでのものに従う———これはデカルト以来の処世術である。これは公民として必要な措置であると云うよりも、連中に沈黙を知る者達の存在に何時迄も気付かないでいて貰う為の、———生存を賭けたカムフラージュなのである。眠っている者達は、眠っている儘に放っておけ………これが私の助言である。


0029.
恋愛は大衆の阿片である。*
                                 ———マルクス・ウェーバー

*家族愛、親子愛、愛国心等、凡そ「愛」と形容されるものの大半は、我々を更に大いなるものどもから目を逸らさせておく為の方便として現に機能している。このことについては世の95%は既に洗脳済みも同然なので、議論することは無意味である。


0030.
不安に対しては解説よりもメソッドが、モティフが必要である。この時我々は考えることによって生きねばならない。


0031.
各々の選択が為される時に、選択それ自体は選択されるのではない、とは言ってはならない。個々の選択が為される際には、選択すると云うことそれ自体がそこで試され、選択されているのである。但し誤解のない様に強いて言うならば、そこで選択選択することは或る飛躍的決断によるものであるが、選択を選択すると云うことそれ自体がそもそも確実な潜在的選択肢として姿を現すのは、或る不可視の領域の干渉によるものである、とでもなるだろうか。それはひとつの生成であって、行為ではない。
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